昇曙夢先生からのバトン

ロシア文学者として明治・大正・昭和の時代に活躍された奄美出身の昇先生がこよなく愛したコレクションは 湯湾のウタシャ 中山音女嬢のSP盤レコードです

約100年前の宝物が詰まった鞄

約100年以上も前昇先生はシマを離れ内地でロシア文学者として明治・大正・昭和と活躍され、故郷を想い擦り切れるまで聴き込んだシマ唄のSP盤レコードがありました。 一世紀の時を超えてそのレコードは生き残った。

昇曙夢先生 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%87%E6%9B%99%E5%A4%A2

東京でご活躍されている加計呂麻出身の豊島澄雄先生はこれらのコレクションを50年ほど前に譲り受けました。豊島先生はこのレコードを50年間大切に保管されておりました。本当に感謝しかありません。

そして昇先生の想いが詰まったこの鞄はさらに50年後の2020年12月末に私達奄美の後継者へと引き継がれました。

このSPレコードの音源はすでに紹介されていますが、78回転で再生してしまったために現実にはあり得ない ハヤマワシ音源 となって紹介されてしまいました。これではせっかく先人達が残してくれた演奏を習い継承することが出来ません。

奄美シマ唄音源研究所はこの貴重な宝物を必ず復元し皆さんへ聴いてもらえるように仕上げます。 これからの子供たちにも永遠に語り継がれるように音源を元の唄声に蘇らせたいと思います。

一世紀の時空を超えて届いた宝物

【鞄の中身】

宇検村(湯湾)の中山音女さんと三味線(直傅次郎さん)との演奏が吹き込まれたSP盤がたくさんありました。 

また同じく宇検村(芦検)出身で東京でご活躍された 坂元豊蔵さんのSP盤レコードもありました。

NIPPON RECORDS トンボ印のレコード

NIPPON RECORDS トンボ印のレコードは、湯湾の山木商店さんがスポンサーとして専売制作されたものでした。山木さんは村に大きく貢献された人物として語り継がれています。

山木さんが作ってくれた橋は今も山木橋として私達の日常生活に貢献下さってます。

この橋のすぐ近くに 音女さんや傅次郎さんも暮らしておりました。当研究所代表のお父さん(沖島さん)も音女さんのすぐ近くで暮らしておりました。

音女さんの旦那さんは網元をしていて、沖島さんは子供の頃に網引きを手伝った思い出があります(現在は名瀬で約50年に渡り沖島薬局を経営されています)

この未来への贈り物の鞄を抱いて、大切に次の世代へと渡したいと願っています。私達の修正が完了したら音女さんたちの命が吹き込まれたレコード盤は湯湾に帰ってきます。誰のものでもなくその言霊はみんなの宝物として。

大きくヒビが入っている盤

【ひび割れの補正・対策作業を行います】

レコード盤はこの様に大きくヒビが入った盤もありました。このままにしているとひび割れが進行して再生できなくなります。すでにこの時点でヒビ割れの隙間が限界でした。通常は再生不能と判断しますがここは根性で音を抽出しましょう! 研究所の本領発揮です!

【音の抽出とデジタル作業】

専門的な知識と経験を要する作業で 0.数秒に一回針が割れにアタックする大きなノイズを除去して自然な演奏に復元しています。

また 録音時のカッティングマシンの回転数への変換作業や音質の戻し作業も行います。特に難しいのは録音回転速度に戻す作業です。日本のSP盤レコードを録音回転数に復元をし発表した実績はこれまでにありません。

この音源が完成したら日本のSP盤レコード史上初となる偉業です。困難を極めるこの偉業を奄美の力で成し遂げたい!

実はすでに中山音女さんの28曲の修正はほぼ完了しています。

音女さんの若かりし頃の艶々とした唄声、グインの表現力のすばらしさに息を忘れるほどです。三味線奏者(傅次郎さん)の独特な奏法にも感動せずにはいられません。 

割れてしまった欠片が紛失している盤や未取得の盤の音源も合わせて仕上げたいと思っています。完成目前です!

三味線奏者とされている直傅次郎さんのお名前をクレジットするためにまずは日置イワさんと直傅次郎さん名義のSP盤レコードの収集が必要です。 

所有・所蔵している方がいらっしゃいましたら、どうぞお譲り下さい。

奄美の皆さんの繋がりで宝物の箱を開けましょう!

※リリースするためにはシマ唄音源研究所が所有する必要があります。

応援宜しくお願いします!!!